2011年10月12日水曜日

意味の意味。

子どもが意味の分からん遊びをしていました。というか、遊びなんてものは概して意味が分からんもんです。意味が分からんから遊びなんでしょうね。そして、意味が分からんから面白いんでしょう。何のためにやってるか分からんこと、本編じゃない部分を「遊び」と名づけるとそんなに遠くない気がする。

「先生も一緒にはいろ。」

えっ、カオスすぎるこの空間。何をしているか一ミリも分からない遊びに誘われてしまった。
でも不思議なもんでどんだけ見てて意味が分からんくても輪の中にはいってしまえば意外と分かるんです。

そうです、意味がないもんの意味を考えていたんですね。もうまさにナンセンス。ないもんはないんです。あえてこじつけるなら意味がないことをすることそのものが彼らの遊びの意味なわけですな。

鬼ごっこでもない、駆けっこでもない。縄跳びでもなければ、ボール遊びでもない。
ところどころにそういった要素はあるんだけど、ただ単にはしゃいでいるだけの原始的な遊び。

「これはどんな意味があるんやろ?」
「何のためにこんなことするんやろ?」

そんな思いつく限りの全ての推測がナンセンス。なんにでも意味があると思う大人の脳みそでは子どもの遊びにはついていけません。

ほとんど動物。野生の感覚は子どもの中にしかない。
最終的に疲れ果てて芝生に寝転んだら遊んでいた子どもが全員真似して寝転びました。
ある子は私のおなかの上に、ある子は腕、ある子は足、ある子は孫悟空のように私の股間を枕にし、ある子は私の頭の上に頭を乗せて…。気づいたらもう顔以外は全部子ども布団によって埋め尽くされました。顔と言うか目だけですね。

青空の下、ぽかぽかいい気分だったのはほんの30秒ほど。運動直後の子どもの体はびっくりするぐらい熱を持っています。

「プチッカァァァァルッ!(あついんじゃぁぁぁぁ!)」
と叫んで飛び起きると蜘蛛の子を散らすように走り出す子どもたち。

そして再び意味の分からぬ遊びは鐘がなるまで続きます。
子どもから学ぶことはいっぱいあるなぁ。

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