2011年9月1日木曜日

日本人と宗教。

九月ですね、日本はもう秋の訪れを感じる季節でしょうか。
一日やから映画でも観にいこうかなー、なんてのが懐かしいなぁ。首都のポンペイにだけは映画館があるらしいですけどね。チュークには海賊版のDVDを売っているインド人の怪しい店しかありません。

土曜日は先輩隊員のお別れダイビングのつもりが、突然の中止。来週に移動になったけど、仕事でピシウィ島にピクニックに行くことがもともと決まっていたので残念ながら参加できなくなりました。ピクニックならいいやん、と思うかもしれませんが、友達と遊ぼうとおもってたのに、職員旅行が重なったと思ってもらえればこの気持ちは伝わりやすいかと。

職場の人間関係も良好だし、よくしてもらっているんですがやはり職場ですから多少なりとも神経はすり減ります。国がそもそも違いますので何をするにしても感覚が違うからやっぱりやだなーって思うこともそれはちょっとないわーって思うこともちょこちょこありますからね。自分が神経質すぎるだけなんでしょうけど。

何よりキリスト教の学校ですのでそれがまたちょっときつい。そもそもベースになる道徳観が違うのに、それについて議論することがタブーなので出来ません。だって、宗教だからね。
宗教ってややこしいなぁ、とここにきて本当に感じます。日本人の宗教観が特殊なんだというのは重々承知しているのですが、何か固定的な宗教観のある人と会話をしているとなんだか見えない枠の中で会話している気分になってきます。すごく窮屈なんです。裏を返せばその意味では宗教に縛られていない日本人は強いなと思ったりするんですけどね。

「君の宗教は何か?」
そう聞かれると本当に困る。そのくせこれは本当に度々聞かれるのです。

「それは日本人にはとても難しい質問で、自分たちでも簡単に説明できない。クリスマスパーティーをするけど、その一週間後には神社に行ってお祝いをして、でも夏にはお寺に行って先祖に手を合わす。神道を起因とする迷信みたいなんもいっぱいあるし、精霊信仰みたいなんも少なくはない。自然に対する畏怖を感じて生活をしているのも自分らにとっては一種の宗教みたいなもんなんかなぁ。」

みたいなことを言うと、現地の人は異質なものに出会ったような顔をする。

だから、自分はいつもそんなときは、
「全部、歴史によるもので、日本人は基本的に全ての宗教を(都合良く)受け入れてきて、その結果が今やからなんともどうしようもない。だから、固定的な宗教を持たない代わりに、心からあなたの宗教(ここではキリスト教)をリスペクトできるし、あなたが教会に行くときになんのわだかまりもなく一緒にいけるのはあやふやな宗教観を持つ自分たち日本人の特権かもしれないですね。今度是非、あなたの宗教のことを教えてください、教会にご一緒しますよ。」

って答えるようにしている。
まあ、わだかまりがない訳ではないにしてもね。

なんか尻切れトンボですが、時間切れですのでここまでです。

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